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リハビリテーション学院(通称:清瀬リハ学院)略年表

1959年(昭和34年)
・厚生大臣官房企画室参事大村潤四郎氏が、「医学的リハビリテーションに関する現状と対策」という課題に関連して省内研究会を発足させる。
・日本整形外科学会においてリハビリテーション委員会が発足し、評議会においてPT・OTの養成に関する決議がなされる。

 

1961年(昭和36年)
・芳賀敏彦先生が、デンマークでの研修の際に、デンマークのPT教育を見学、デンマークのPT協会よりWCPT事務局長Miss Neilsonを紹介される。
・厚生白書でリハビリテーション技術者の養成の必要性について初めてふれる。

 

1962年(昭和37年)
・6月:「リハビリテーション事業拡大5カ年計画」が中間報告としてまとめられ、機能療法士、作業療法士、言語療法士の養成所新設計画を提示。
・9月:芳賀敏彦先生が「Physiotherapist(機能療法士)養成のすすめ」(日本医事新報)を著し、各国のPT教育体系について詳細に報告。
・38年度予算に学院設立に対する予算が盛り込まれる。

1963年(昭和38年)
・リハビリテーション学院1期生(PT18名、OT5名)入学
・1月:本学院設立に伴う初年度予算について討議。大村潤四郎国立療養所課長来校、学院開設に関する諸問題を検討。
・3月:通常国会にて予算案及びリハビリテーション学院の設置法案が通過。岡田敬蔵、小林八郎、上田敏、下河辺征平の各氏と大村潤四郎国立療養所課長、上村医事課長を招き、東京病院で授業内容の打ち合わせを行う。第1回入学試験実施。
・5月:第1回入学式が清瀬病棟仮校舎で挙行される。Mrs.Conineが運動学の講義を開始(ボランティア)。Mrs.Dabilが初めて外国人講師として採用され勤務。
・10月:Mrs. Conineが理学療法学部講師として勤務。WCPTよりMiss Neilson来日、砂原茂一学院長、芳賀敏彦先生らと協議後、鹿教湯温泉病院、国立別府病院、九州労災病院などを視察。養成校設立に関する答申書を作成し政府に提出。

 

 

以下、詳細な続きは、PDFファイルをご覧下さい。

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